改元と大型連休。お祭りが終わりました。
平成の改元の際には、お祝いのイベントはなく、ただ喪に服していました。
「平成」になかなかなじめず、書類に「平成」と書くことに戸惑っていました。
テレビ等もクラッシックが終日流れ、静かな「平成」の滑り出しだったと思います。
今回は、生前退位ということで、新天皇の即位をお祝いするムードにあふれていました。
粛然とした気持ちで迎えた「平成」の終り。
一つの時代の終わりを迎え、否応なく来し方を考えました。
振り返れば、「平成」は人生の核となる時期であったと思います。
平成最後の写真を玄関先で。
5月1日、令和の始まりは、益子陶器市。
初めて訪れましたが、規模の大きさに驚きました。
混雑を予想して行きましたが、大型連休で分散したおかげで、道路も駐車場もスムーズに。
大石窯の作品(お皿)と中鉢を購入しました。
益子名物の狸の像の前で。
5月4日、「クリムト展」と「東光展」へ。
「東光展」に出品される知人のご紹介で、東光展へ出かけました。
同じ会場、東京都美術館で「クリムト展」を開催していました。
クリムト展は、10分程度で入場できました。
65歳以上の人はシニア割引で1000円。映画も、美術展もシニアにやさしいですね。
85回記念東光展へ。
「クリムト展」の入場券があれば「東光展」は無料で入場できました(ラッキー)。
「東光展」のレベルの高さはすごいです。世の中には多才な人がたくさんいますね。
「東光会会史」より。
”光は東方より”この輝かしい夜明けを思わせる言葉から「東光会」と熊岡美彦によって命名されました。当時の沈滞する画壇に活気を呈するようになればという強いおもいがあり、昭和7年に熊岡美彦・斎藤与里・高間惣七・岡見富雄・堀田清治及び橋本八百二の6名により洋画の任意団体として設立されました。真の絵画の創造を念願し、自己完成に努力すると同時に一般美術界の向上発展に尽力するという目的からでした。熊岡美彦と斎藤与里の画風は写実と詩情との相違がありましたが、お互いの個性を生かして進み、会員同志の和を重んじ、若い人達の育成に努めました。
昭和8年2月、東京府美術館において第1回東光展を開催以来(戦争のためやむなく中止した昭和20年・21年を除いて毎年春)、平成16年4月の第70回東光展開催に至るまで、美術の向上発展のために様々な影響の中を歩んできたわけですが、一貫して創立の精神をうけ継いできました。その間、今は故人になった指導者の方々が、それぞれの個性で東光会という一大殿堂を遺してくれました。
昭和52年4月、東光会会則が制定され、初代理事長に森田茂が就任し、東光会事務所が東京都豊島区西池袋に開設されました。以後講習会・研究会等を開催し、東光会研究所として実効を上げてきました。
昭和54年には長年の希望であった法人化が実現し、社団法人東光会として歩み始めました。会員同志が切磋琢磨する場としての選抜会員展や国際交流の一貫としての海外展(アメリカ・フランス・ドイツ・中国等)を開催するなど時代に即応した新しい歩みを続け、現在の活気を呈しております。地方にも目を向けて、毎年約7都市での巡回展を開催、また現在全国に15の支部があり屡覧会・講習会・研究会等を実施し、地方の新人の育成にも力を入れてきており各地から優れた新人が生まれております。
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